インドネシア学生の紹介

ゴーベル奨学金について
この奨学金は、「Look South」のスローガンのもとに、グローバル化を進める大阪国際大学の取組にゴーベル氏が深く共感され、特に日本とインドネシアとの青年交流プログラムに参加する本学学生をサポートするため、ゴーベル財団からの寄付金をもとに、本学は奨学金を支給することとなりました。これにより、インドネシア学生交流プログラム生などインドネシアに派遣する学生に対して奨学金が支給されています。

ラフマット・ゴーベル(Rachmat Gobel)氏
元インドネシア商業大臣

 1962年ジャカルタ生まれ。1987年中央大学卒。卒業後、パナソニックで実務研修を経て88年に帰国。「ナショナル・ゴーベル」で一社員から働き、94年に「ゴーベル・インターナショナル」の社長に就任。「インドネシアはアジアで日本型を最も受け入れやすい国」と主張する。父親のモハマド・ゴーベル氏が1960年に松下電器と技術援助契約締結。トランジスタラジオ、62年にはインドネシア国内初の白黒テレビを生産し、70年に合弁会社「ナショナル・ゴーベル」を設立。ナショナルからパナソニックへのブランド名変更に伴い、現在は「パナソニック・ゴーベル」と社名を変更。2014年10月第一次ジョコ大統領政権の商業大臣として活躍されました。

 ゴーベル氏は、インドネシア日本友好協会の理事長、パナソニック・ゴーベルグループの元会長でもあり、父のモハマド・ゴーベル氏と父子二代にわたり母国インドネシア共和国の発展と人材育成に尽力するとともに、インドネシア共和国と日本国との友好関係の伸展及び福祉事業において、多大な貢献をされました。

 また、2011年6月中旬には、東日本大震災の被害を受けた現地を視察し、被災者に手を差し伸べたい想いから、PPIJの理事長として、PPIJの会員と元留学生らから集めた2,000万円の義援金とインドネシアの竹製民族楽器アンクルンを、東北地方に病院8カ所と介護施設12カ所に贈られました。その上、インドネシア元日本留学生協会(プルサダ)の会長も務めるゴーベル氏は、2011年4月にジャカルタで震災チャリティー・コンサートを主催。インドネシア赤十字の副会長として、同年7月中旬には、東京を訪れ、赤十字に寄せられた義援金100万米ドル(当時約7,900万円)を日本赤十字に贈呈されました。

 このようにゴーベル氏は、「日本人は家族。留学時代にお世話になった」と日本への多大なる支援をしてくださっております。