私は今年の夏、タイへホームステイに行った。バンコク中心部は、予想をはるかに上回る近代的な街並みであったが、初めて目にする物乞いやスラム街に私は少なからずショックを受けた。ホストファミリーの家はバンコクの外れ、川の上に立つ木造2階建ての家だ。タイ語しか通じない環境に初めは戸惑ったが、ホストブラザーと散歩に行くことにした。タイは、野犬が多く糞もあちこちに落ちている。家の裏に流れる川は、生活排水が流れ込む為、泡立ち緑色や青色になっていた。覚えたてのタイ語とタイ語の本を駆使し、川の汚さをホストブラザーに伝えると、タイではよくある光景で魚はよく捕れると少し自慢げに答えた。また、ごみが散乱した空き地にいたアヒルのような鳥を見て、「美味しそう」という言葉を耳にした私は、驚きを隠せなかった。その日の夕食には、トムヤムクンと魚の姿揚げが並んだ。予想はしていたが、やはりあの川で捕れた魚だった。タイの人にとっては、ありふれた日常なのだろう。
また、現地高校との交流では、青パパイヤのサラダを皆手を洗わずに作り始めた。タイの名物でもある数多くの屋台では、生の肉や魚、ご飯が30度を超す暑さの中でも常温で保存されている。しかし、これはタイでは普通のことで、現地の人々は特に問題と思ってはいない。日本人の私が考える衛生と、タイの人々が考える衛生の価値観が違うのだ。確かに私もあの魚を食べたが。おなかをこわした訳でも病気になった訳でもない。そう、これこそが『最低限の衛生』。私達にとっては、不衛生と思いがちな事も現地の人々にとっては、ただそれ以上の衛生を知らないだけであり、知識として知っている人がいても、特にそれ以上の衛生を求めている訳ではないのだ。何を必要としているのか、何を求めているのかは、その国の文化や国民性によって変わってくる。これは、衛生等の保健事業だけでなく、教育や農業といった国際協力の分野でも当てはまることだろう。
私は将来農業で国際協力を行いたいと思っている。人口増加の著しいアジアでは今後更なる食料増産が求められている。この時、ただ日本で学んだ栽培技術や日本で開発した品種を現地に押し付けてはいけない。何をその国の人々は必要としているのかは、その国の文化や風習、国民性を知り、一緒に生活することで見えてくる。以前の私が国際協力でタイに行っていたら、調理の前に必ず手を洗い、あの川の魚は食べてはいけないと高圧的に現地の人々に言っていただろう。しかし、国際協力は、お互いの国が協力し合うこと。一方通行の支援では、続かない。現地の人々のアイディアや従来のやり方を取り入れながら、新しい様々な方法を提案し、現地の人々がより良い生活が送れるよう互いに協力していくことが国際協力の真の姿だ。
現地の人と共に歩む、そんな国際協力を目指していきたい。タイでの経験は、その道しるべとなっている。